『グレイヘア』は、今の川口の真骨頂です。
銀座・交詢ビルにある美容室に、新卒で入社後すぐ配属されたのは、もう16年前。
まだ平成の時代からすでに『グレイヘア』のキレイな銀座のマダムたちがサロンを行き交っていました。
大学まで卒業したのに、美容師の道を選んだ私がたどり着いた先は、諭吉先生ゆかりの地、運命というかご縁というか、、、ってそんな気分に浸っている暇もないくらい、一日150人近くのお客様がいらっしゃる強烈に忙しいお店に立ちすくんでしまった私は、配属初日に女性の先輩にフロアで蹴飛ばされました。
でもそんなパワハラな先輩達が作り出すヘアスタイルが本当にキレイでした。
特にヘアカラーリストがコーム一本で糸を縫うように髪を素早くすくい上げて、ホイルにキレイに折りたたむウィービングカラーに私は魅了されました。これが日本初のヘアカラーリスト発祥のサロン、日本一のヘアカラーリスト集団なのかと。
チョキチョキするのが夢で美容師になった私は、180度方向転換して、ハサミを握らないヘアカラーリストの道を選びました。初めて美容室に行ったあの高校1年生の春、ヘアカラーをすすめられて初めてヘアカラーした鏡の前のあの感動は今でも忘れない。あの感動を鏡の前のお客様にヘアカラーで届けたい。今も変わらず思い続けて16年。
アルミホイルを折り続けて深夜3時、ダイニングで寝落ちして、朝7時にはサロンで練習して、週一回の休日は渋谷で終電までひたすらモデルハント、24歳の若さで乗り切った美容師1年目はあまりに過酷で体重が10kgやせてしまいました。
そんな苦労話はお客様には関係ないのですが、今もなおこうして『グレイヘア』をしているとふと思い出す。
カットもできるようになった私は、そんじょそこらのヘアカラーリストとは一線を画すと自負しています。
どこにどれだけブリーチを施すか、カットできないとわからない点がたくさんあるし、スタイリングができないとハイライトの映え方もわからない。
それでも、ヘアカラーは本当に難しい。正直、思い通りの色が出せずに、真にお客様に感動を与えられないことだって今でもあります。
20代のときは60代のマダムから可愛がられていただけ。
今40歳を目前に、今は違う、ビューティーパートナーとしてちゃんと頼りにされている感触がある。
最近、白髪染めで悩める新規のお客様が本当に多い。
ありがとうございます。
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